2013年6月13日木曜日

ゲーム性について/良いゲームをデザインすることとは

ここでは挨拶で述べた「ゲーム性」について話そうと思います。

ゲーム性が持つ価値

ゲームは多様な面白さ、価値を包含したメディアです。それゆえにストーリーであるとかグラフィックであるとか、一点劣るところがあればそこから叩かれてしまいがちで、作品自体に正統な評価が下されがたい。それに統一的な見方を与えてくれるのが「ゲーム性」です。ゲームを「ゲーム性」から見ることはそうした装飾的な部分よりもゲームの本質的な価値を気付かせてくれます。

ゲーム性の定義

「ゲーム性」は人それぞれ使い方が異なり、使用シーンに応じてフィーリングで使われるマジックワードだという批判がよくされます。
しかしいったん定義づけておけば思考において便利に扱える道具であることは確かなのです。なので、みんな使っている。

そういうわけで、この記事において一応私なりの「ゲーム性」の定義をしておかねばなりません。今後私のブログで「ゲーム性」というワードが出た時に、参照していただければと思います。
そうは言いましてもそう難しいことを言おうとしているわけではありません。あくまで「道具」ですし、言葉の定義に情報量を詰めすぎては道具たりえませんから。

ゲーム性とは駆け引きである

では、ゲーム性とは何か。見出しで言ってますね。これは桜井氏がよく発言されるので皆さん知っておいででしょう。ええ、ええ。しかし、この「駆け引き」の前後に当たる言葉までを含めて「ゲーム性」という言葉は理解されなければいけないというのが今回しようとしている提言です。

図にするとこのようになります。ジャンケンに例えて順を追って説明していきます。

「選択」 グー・チョキ・パーの中から我々は手を選択します。
「勝ち負け」 相手の出した手によって勝ったり負けたりします。

「駆け引き」は?
「駆け引き」は我々の目には見えないのです。
我々は「選択」をして「結果」を得る。これが、プレイヤー目線ではすべてです。

ではプレイヤーには見えない中間の実態はどうなっているのか。
ここで「駆け引き」は、”相手が何を出すか?”、”そして自分は何を出すべきか?”とプレイヤーが予想することで生じています。
そうして考えをお互いに巡らせてるよう仕向けているものは何か?
それは、3すくみという「ゲームのルール」ですね。

つまり、「駆け引き」が生じるということは、ゲームのルールが設計されていなければならない。
「駆け引き」がこの「選択」と、「勝ち負け」という因果の中間に確からしくあることが、ゲームにおいて「ゲーム性」がある、というのです。
(ゲームおいて「選択」とはスティックを傾ける、ボタンを押すというレベルのものからより複雑な操作まで含みます。)
この駆け引きがうまく構築されているか?ということがゲームの「ゲーム性」を測るときの基本的な考えになります。
このようにして初めて、「ゲーム性は駆け引きである」ということが言えました。


おわりに

「選択」と「勝ち負け」の間にうまく橋をかけること(マイナスをどのようにして避けるか必死に考えさせ、プラスの快感値をどのようにして最大に大きくするか)、それが「良い」ゲームをデザインするということです。
このゲーム性にまつわる話はとても多くあり、ここでだけでは紹介しきれません。ぽつぽつとそれらをこのブログで書いていけたらうれしいなあと思います。

補足:これだけ言いたい。「ゲームはグラフィックではない」という人がよくいます。しかしそれは違います。なぜなら、結果は必ず、グラフィックとして出力されるからです。つまり、勝った喜びを我々に伝え、もり立ててくれる(プラスの快感値を最大に大きくする大きな要因)のはグラフィックでしかないのです。これは、駆け引きがうまく構築されていないのに、美麗なグラフィックが出力されていることに対する違和感なのでしょう。
と、このようにゲーム性から見ていくことで問題点はよりクリアになります。ぜひ、一度この視点からゲームに触ってみてください。色々な発見が必ずあります。

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